敬語を使う理由

最近の若いもんは言葉をしらん!
と言うセリフがドラマなどでよく聞いたりしますが時代が変わっても言われているような気がしますね(笑)
昭和のドラマや平成のドラマ、そして令和のドラマにもそんな言葉使われるのを見ます。
最近の若者は!と言う言葉に惑わされているような気がします。
え?僕だけ?(笑)
要は言葉遣いを知らないと言うことですので相手を敬う言葉を使ってほしいという現れがこのような台詞を生み出しています。
相手を敬う言葉として使われる敬語は実は別の意味があります。
それは
敬語は自分自身を守るためのもの

なぜ相手を敬うための言葉が自分を守るのかいうと
先ほどの台詞を思い出してみましょう
最近の若者は言葉を知らん!
という言葉には先程も言ったように私を敬うような言葉を使って下さいという意味が含まれています。
私を傷つけないでください!という意味があります。
では言った本人はどうでしょうか?
相手を敬わないようにわざと失礼な言葉を使ったのでしょうか?
ここではどのような言葉を使ったかは置いておいて大半は誰かを傷つけたいと思って言葉を投げる人はそんなに多くないと思います。
そう望んでおります(笑)
しかし不可抗力はありますよね。
傷つけるつもりはなかったけど傷つける結果になってしまった。
これは自分ではなかなか気が付けないんですよね。困ったことに。
自分は言いたいことがあるのに内容ではなく言葉で相手を怒らせてしまう時ってなんだか自分も腑に落ちない。
自分が言いたいことを言うには自分の言葉をコントロールする必要があります。
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自分の言葉を言葉をコントロールするとは

発する言葉をコントロールするには自分の感情をコントロールするということに繋がります。
感謝の気持ちが無ければ「ありがとう」という言葉も素直に出てこないからです。
歯を噛み締めた状態でありがとうと言っても逆効果になりますもんね。
ありがとうが「余計なお世話だよ!」に聞こえてしまう。
そうなったらもう喧嘩です(笑)
ありがとうはありがとうの気持ちでごめんねはごめんねの気持ちで。
言葉をその言葉の意味のまま使わないと言葉を発しても意味がなくなってきます。
コントロールする練習としてはまずは気持ちに反しないように言葉を使うこと。
お腹空いたらお腹空いたという。
調子悪かったら調子悪いという。

思っていることを口にすることが子供っぽいと言われるようになり大人になるにつれてなかなか言葉にしなくなってきますが、これがそもそも「言葉と心を矛盾させる」ことになってきているんですよね。
本当はこう思っているのにこう言わなきゃいけない。
こうしたいのに周りの空気に合わせなきゃいけない。
日本人の特徴とも言える行動ですよね。
自分の気持ちをダイレクトに伝えてしまうと空気の読めないやつと思われるかもしれない。
そういうやつと思われるように自分から周りを教育していく方法があります。
ホリエモンさんは一切電話には出ずに連絡のやり取りをスマホのメールやラインで終わらせます。
それは人の時間を使うということについて深く考えているからなんだそうです。
そしてその行動をし続けているとホリエモンさんは電話には出ない人という認識が周りに出てきます。
そして1日に終わりには決まって同じお店にいて食事をとっているそうです。
ホリエモンさんの著書にも記載されています。
もし話があるなら実際に会いに来い!と仰っています(笑)
少し話は脱線しましたが「自分がこんなやつですよ」と自分から提示することによって自分の気持ちが伝えられるようになるというわけです。
「こう思われるかもしれない」
「嫌がられるかもしれない」
と思ってしまうかもしれませんがこれは自分がコントロールできていない場合に自分が思ってもみない反応があったらどうしようというときです。
選択肢は二つです。
今まで通り自分の気持ちを表に出さず周りに合わしていく生活を続けていくか
自分はこういう人だよという提示をして気持ちを素直に言える環境づくりをするか

実際に今周りの人を見ると自分と会う人しかいないはずなんです。
強制された学校や職場以外は(笑)
プライベートでは自分の気持ちを出せる人が周りにいると思うのでその人から洗脳していきましょう(笑)
自分はお腹空いた時にはお腹すいたと言うし
眠い時には眠いという。
もちろん仲間の空気感を壊さないような努力はするが容赦はしねえぜ!みたいな(笑)
まずは気持ちと言葉のズレを無くしていくことが自分をコントロールすることなのです。
今何考えているの!?と言われたり
質問はありますか!?
と言われて何も考えられなかったりする時間を少しでも減らすためにはまず自分が何を感じているのかを常に考える必要があります。
それが当たり前になってくると自分の気持ちのままに行動も取れるようになったり言葉も気持ちと裏腹なことを言わずに済みます。
言葉を変えると自分に嘘をつかなくてもよくなります。

体調が悪いのに悪くないと言い聞かせていると脳はその状態が悪い状態ではないと判断してきます。
本当に取り返しがつかないまでに悪化した時に初めて気づくんです。
無理はやめえようって。
それでは遅いんです。
体調が悪くなってからだと遅いんです。
自分に嘘をつかなくなってくると自分の体の変化にも敏感になってきます。
体調が崩れそうな前兆に気がつくことができ、悪化する前に体調管理ができます。
それが結果自分を守ることにもなるり自分のやりたいことを続けられることにもなります。
何よりもそれが周りに迷惑をかけないことにも繋がるのです。
言葉だけではないコミュニケーション

言葉のコントロールを練習するときと同じくするべきことが
表情のコントロール
ありがとうの気持ちを持ってせっかく言葉にできたとしても眉間に皺が寄っていたりすると相手はそのままの言葉を受け取ってくれません。
むしろ嫌悪感を与えてしまいます。
元々持っている顔の作りというのは関係なく嬉しい時は嬉しい顔ができるように悲しい時は悲しい顔ができるようにする練習をします。
役者さんは必ずしている練習ですが
鏡を見ながら笑ってみる

ただこれだけです。
自分の笑顔はどんな表情をしているのかをまずは自分で知ることから始まります。
眉毛の上がり具合
目の細さ
頬の上がり具合
口の形
肌の色
など自分の変化に気付くようにします。
もちろん面白いことがあっての笑顔ではないので嘘くさい笑顔にはなるとは思いますが思いっきり「にか!!!」と笑ってみてください。
自分の笑顔をコントロールすること

笑顔は相手に好印象を与えます。
しかも笑顔になれば顔の血色が良くなり肌色も変わってきます。
さらにさらに血色が良くなると顔に詰まった老廃物も排出されやすくなるので健康法や美容法として練習してみてください。
そのためには鏡で自分を見る癖をつけます。
ナルシストだな〜と言われるくらいでちょうどいいんです。
自分を好きにならないでどうするんですか(笑)
まずは自分が自分のことを好きになってあげましょう。
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吃音者が選ぶ言葉選び
ここでやっと本題になりますが、吃音歴30年近くなる僕が(いや、全然自慢でもなんでもない)言葉選びの基準をお話しすると
大切なのは自分の発する言葉の意味を把握することです。

たまに話しているとその言葉の意味って違うんじゃないか!?
と思う場面に遭遇します。
言葉の意味合いが違うことに対しての指摘ではなくこの場合
喋っている自分と相手の言葉の認識が違うことで同じ会話のビジョンが思い浮かべることができないということです。
ここから誤解が生まれてきて話がずれてきます。
何でもない会話だったら誤解されても何にも問題はなさそうですが、大切な話をしているときは少しの認識の違いが大きな変化をもたらします。
特に最近横文字をたくさん使う人!
横文字は日本語と違い幅広い意味合いを持つことがあります。
いや、ちょっと待って!それってナンセンスじゃない?
もっとクレバーに考えないとエビデンスが取れないよ!
しっかり結果にコミットしないとデフォルトできないよ!

みたいに最近はビジネス横文字なんてのもあるくらいたくさん使い用途が増えてきています。
そもそも使い方間違っていたらあすみません(笑)
意味合いの幅が広いからこそ言葉を使うときはしっかり相手に伝わっているかを確かめないと会話にならない。
これは日本語でも同じで丁寧に喋ろうとしすぎて結局何言っているのかわからないことがたくさんあります。
なぜ吃音者が選ぶ。ということを言うかというと
吃音者は自分がうまく話せる言葉が限られています。
た行が苦手な人はた行を極力使わないようにして相手に同じ意味を伝えなくてはいけません。
吃音を経験していない人はわかりづらいかもしれませんが、あ行が言えなくなると結構大変です。
挨拶の「おはようございます」がもう言えない。
上司に「ざっす!」というわけにもいかない。
かといって何も言わないわけにもいかない。

吃音者は言葉についてたくさん考える機会があります。
あ行最初に出ないのであればあ行を最初にもってくるのをやめようと考え、「斉藤さんおはようございます」とさ行を最初に持ってくる。
さ行が言えない場合は「課長!おはようございます」と役職から話す。
など自分が言いやすいように変えていくんです。
吃音者が最も恐れていること聞き返されること
自分がせっかく言えたことに対して
「え?なに?」
と聞き返される。
ドラゴンボールで世界中の人から元気をもらって元気玉を打ったのに全く効いていなかった時の絶望感を味わいます。
「・・・・・ま、まじかよ・・・・」
瀕死の状態で頭の中が真っ白になります。
この聞き返されることのないように短く的確に言葉選びをするのです。
この言葉を考えているうちに言葉を発するタイミングを逃してしまう。
そんなことの繰り返しなのです。
まとめ

ここまで読んでくださった方々ありがとうざいました。
言葉には凄まじい力が宿っています。
どの言葉を使いこなすことを許されている私たちは使いこなせるように練習をしなくてはいけんません。
そして吃音者は喋りにくい中で言葉と向き合い、本当に必要な言葉を選出しなくてはなりません。
労力はかなり要ります。
吃音者じゃなくても。
なぜなら人と関わるということは簡単なことではないからです。
私たちが思っている以上に。
そしてそれには自分の感情というフィルターをと通して行うからこそさらに大変さが増してくるのです。
言葉やコミュニケーションは難しくできているんです。
誤解を与えてしまうことが多いんだけど
その中で相手を尊重し自分を尊重できるように日々練習していくんです。
自分の心に嘘をつかないようにする
自分をキャラ付けしてみる
誤解は与えてしまっているのを前提に丁寧に話してみる
日本でしか使わない世界的に貴重な日本語という言語について少し考えてみると毎日の言葉遣いが少しずつ変わってくるかもしれません。
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