正義感と正しいことは違う

正しいことはその文化によっての環境や歴史によって変わってくる。
絶対というものが存在しない。
日本では食べる時お茶碗を持って静かに食べるというのが決まりというか文化になっている。
子どもの頃はくちゃくちゃオチを開けて食べていると怒られたこともあった。
そして出されたものは残さず食べるというのが礼儀だ。
日本の文化として蕎麦を食べるときは音を立てて食べることが海外の人からすると混乱を招く行為となっている。
中国では食べる時お茶碗を持たない

代わりにお箸が長くなりお茶碗を手に取らなくても大丈夫なようになっている。
これは人口が多いため大きなお皿で運ばれ遠くのものを取れるようにそうなっている。
そして最後まで食べずに食べ物は残しゲップをして「満足」を表現する。
言葉はよくないが人を殺すことでさえ戦争になると人をたくさん殺した人間がいきなり英雄扱いされるときもある。
世界も時代も違えば正しいことも違ってくる
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正義感とは個人的思考が大半を占めていて正義感で物事を片付けようとすると大半がうまくいかない(笑)
私はあの人のために言ってあげているのに!
あの人が困らないようにお世話をしてあげている!
こちらの正義の押し売りは双方の考えが噛み合わずにもつれることがたくさん出てくる。
ではこの正義感は必要ないのかと言われればそうではないと思う。
今まで生きてきた中で勝ち取ってきた考えで
自分の生きてきたプロセスみたいなものだからこそ
正義感というものは人には譲りにくい
まとめ

正義感は自分の中でひっそりと持っていて自分の進む道の道標として活用すればいいと思うというものが今回の個人的な見解です。
しかし人と話し合う中で自分の意見を言うときには必ず自分正しいと思うことと自分が貫き通したいことを発言しがちになります。
じゃないと自分の意見ではないですからね。
大切なのは自分の正義は目の前の人からしたら正義ではない可能性があると考えられるかどうかは大きな違いを生むと言うことです
価値観という言葉でも当てはまりますかね。
価値観は違って当たり前
この言葉はグローバル社会がさらに進歩した世の中では誰しもが頭の中にあることだとは思いますが
自分の価値観を相手に押し付けた瞬間に色んな問題を生むことに繋がっていくのです。
誤解がないように一つ加えると
喧嘩がよくないわけではい
意見を言い合うことで相手の本当に思っていることがわかることもあります。
今回の記事の本当のテーマは
相手を本当に尊重するには
です。
人を尊重するとは自分が言いたいことを抑えて我慢することではありません。
自分なりの正義感を持ちつつ相手の正義感を受け入れてみる姿勢をもつ
心の余裕を持つことが何よりも大切だと感じたこということでした。
毎日の人間関係の中で自分の正義感を置いてに押し付けていないかを自分を観察してみてください。
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