生きる意味を考える意味はあるのか

人間誰しも一回考えたことがある「生きる意味」
人間のテーマであるかのように人間誕生してから頭のいい人たちが哲学という分野を通して考え続けてきましたが未だに
これだ!!!
という結論に至っていない気がする。
もちろん人によっては人生とはこういうことだ。
と自分を納得させるような考えに行き着いた人もいると思うし「人生とは」と言い表した言葉に安心感を覚えた人もいると思います。
要は考える意味があるかどうかというのはその人それぞれ納得できる言葉やヴィジョンと出会ったかどうかということになる。
天国と地獄

宗教観でこの二つは違ってくるしそもそも存在しない考えもあるのでどちらがいいというわけではないですが、
子ども頃から
生前に良い行いをすると幸せな気持ちのままずっといられる天国に行けて、
悪い行いをすると苦しい思いをずっとしなければいけない地獄に行くと聞かされてきました。
いや、そんなん天国の方がいいに決まってるやん!!
死んでもなおしんどい思いをするのは堪忍やわ!
そんな風に思うから生前に良い行いをさせるように仕向けられていたんだなと思う(笑)
まんまと親の策略にハマっていたわけです。
ここから人には迷惑をかけないという日本人の考え方が広まっていったのではないかなとふと考えました。
というのも
日本では昔から他所様には迷惑をかけるもんじゃねぇ!
自分のケツは自分で拭くもんだ。
っていう感があるじゃないですか!
これは天国に行くためのステップだったのかもしれませんね!
地獄にも色々あって1つではないことを調べるうちに知ってきます。
今回は地獄を紹介する回ではないのでまたにします。
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この世が地獄という考え

中学生の時に部活の顧問の先生に聞いた話なんですが
天国や地獄にいくという話ではなくて僕らはもうそもそも地獄にいるんだというお話しでした。
この世はたくさんの苦しみを経験をします。
もちろん同じくらい喜びも感じることはありますがこの地獄で苦しみを経験しておかないと死んだ後にまだこの世に戻されるという設定なんだそうです。
だから天国に行くために自分が課せられた問題や悩みにぶつかっておかないとこのように生まれ変わりとして同じ悩みにぶつかるんです。
これが先生から聞いた生まれ変わりの法則なんだそうです。
この世は煉獄という考え

煉獄(れんごく)とはカトリックの教えで天国と地獄の間にある世界で天国に行く前に火によって浄化される期間を過ごす世界でここがこの世で私たちがいる世界だという考えもあるそうです。
この火というのが「我々が抱えている問題」で向き合い続けていると天国に行けるという話です。
宗教観では正解や間違いがあるのかもしれませんが、このようなたくさんの考えが生きていく中で納得させてくれることがあるので道標として活用できますね。
人間生まれ変わりの考え

人間にはレベルがあってその人のレベルにあった問題しかその人の目の前には現れないと言います。
その問題に向き合った人が亡くなりもう一度生まれ変わるとします。
この時に課せられる問題のレベルが上がるんです。
生まれ変わりレベル2に上がりレベル1よりも困難な問題が出てきます。
そうやってレベルを上げていくんです。
ようやく人間2年生です。
学年をあげていくんです。
学年が上がっていくことによって障害が増えてきます。
この障害を乗り越えていくとさらに重い障害がのしかかってきます。
心の障害や体の障害を感じるのはこういった経緯だという考えです。
人間1年生や2年生にはこの障害はも乗り越えられないので初めから課せられないのだそうです。
このような人間上級生は人生を全うし亡くなったらもう2度とこの世へは生まれ変わらないそうです。
神様となって今度はこの世を上から見守る存在になるのです。
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人にイライラしてしまった時に「あの人は人間1年生だから」という考え

この人の考え全然合わないわぁと人にイライラしてしまうことってありますよね。
人にイライラしてしまったら
この人は人間1年生だから仕方ない。
と考えると一気にイライラしていたことさえもバカらしく思います。
小学6年生の自分が小学1年生に対してイライラするのは大人気ないと感じるじゃないです
か!
そんな感じです。
相手はまだ覚えたてなんです。
人間してしての在り方を。学んでいる途中なんです。
そんな人には優しく教えてあげましょう。
まあ厄介なのがその人が1年生であろうと年齢が上だということもあり得るということです。
年上は敬った方がいいとは思いますが自分自身を保つためにもこの人は
前世はカマキリだったんだな。
だから目の前ものを見境なく食ってかかるんだな。と考えるんです。
そうすると
あ〜この人カマキリだから仕方ない。と自分の中で納得できるはずです(笑)
人間ポイントの貯め方

人間にはポイントがあるというお話です。
よく人は亡くなるとまず三途の川を渡りあの世=天国に行くと言います。
臨死体験をした人のお話でもよく川を見ると言います。
三途の川では何やら皆がカードを持っているというんです。
このカードはポイントカードになっていて三途の川を渡る時にどれくらい溜まっているのかチェックされるんだそうです。
このポイントが生前良い行いをした数かと思えばそうではないらしいんです。
人間ポイントは新しいことをチャレンジした数

ポイントカードには生前の良い行いではなくチャレンジした数とされているそうです。
この数が多いと天国に行けるというんです。
チャレンジというのは特許を取るとか資格を取るとか大きなことではなく
毎日の日常の中でほんの少しだけ加えてあげればオッケーだそうで。
例えば
ご飯のレシピを増やす。
帰りの電車の一駅を歩いて帰る。
会社で一人一人に挨拶した。
昨日よりも1分笑顔で過ごすことができた。
などです。
すぐにできそうなことだけで十分なんです。
これだけで私たちは天国に行けるんです。
ラッキー(笑)
しかもこの考えのいいところって人生に早いも遅いもないという言葉の理由立てになってくれているところです。
自分は人に悪さをしてしまっていたけどここから新しいことにチャレンジして新しい自分を作っていこう!
という考えにもなるわけです。
まとめ「結局生きる意味って」

宗教によって時代によって家庭の環境によって
「生きる」という意味合いが違ってきますが正解がないからこそたくさんの考えがあるんです。
その中で自由に選んでもいいよ!ということです。
自分が納得する考えを持って帰ってちょうだい!ってことです。
もしどれも違うなぁって感じたら自分で作っちゃえ!
それがあなたの生きる意味だから。
他人がどうこうする話じゃない。
結局のところあなたの命はあなたが使うんだから。
どうせならこの命燃やし尽くしましょうよ!
どうせ帰ってくるんです。この世に。
また苦しい思いをするんです。
生きるって苦しいんです。
苦しいのが前提にないから苦しいのが耐えられないんです。
その中でいかに楽しく生きるかです。
人間最後はどうせ幸せになるんだから。
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