会話は無意識に相手と自分を比べている

初対面の人と話す時
無意識に
この人は自分よりも年上だろうか年下だろうか・・・と考えて話すことがあります。
どうでもいいとはわかりつつ相手の歳を知らないとなんか気持ちが悪いという感覚。
ありません?(笑)
え?ない?(笑)
先生と会話をするときは敬語を使いなさいって子供の頃から怒られながら言われたと思うし「年上の人には敬語を使いましょう」と我々日本人は教えられます。
そこから相手が年上だから敬語を使わなくてはいけないというマインドになりますが、ここからもうずれてくる要因なのではないかと思っています。
会話をするときの判断材料

要は相手が年上だから
という判断を小さい頃からの癖で言葉を変え会話をします。
学生が先生にうまく話ができないのはこの敬語というものがそもそも壁を生んでいるからです。
学校では敬語を教えてくれないのにいざ学校で先生に話すときに
先生には敬語を使いなさい。
と怒られます。なんでやねん!
そうかと思えば
先生には何でもいって欲しい!
と先生から懇願してくる。
この時生徒からすると
普段から喋り慣れていない言葉を使ってまで話すようなことでない。
だったら
タイマンでタメ口でいいから話して!
と先生から歩み寄っていく方がいい。
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先生に何でも言ってね!ただし先生を敬いながら敬語を正しく使って簡潔に喋れ!
と条件付きが厳しい!(笑)
だから先生と仲良く喋れる人って敬語があまり使えない不良っぽい学生だったりしますよね!
だよね!先生!!ウケる(笑)
とか言いながら生徒から距離を詰めていく。
学生の頃カクレクマノミと言われた僕は影に隠れてそんなことはできませんでしたが、何処かそういう生徒を見ると羨ましく思っていたのかもしれません。
この時の先生から見たらどう見えているかはわかりませんが
周りの先生や生徒から見ると生徒からタメ口で話されている先生を見ると
舐められているな。
と見えてくるんですよね。
実際の関係よりもこう見えるからやめなさいということを大切にする風習があるので先生の前では敬語を使いなさいと言われるのです。
李の木の下で冠を直すな

李(スモモ)の木の下で冠を直すなという中国のことわざがあります。
スモモの木はとても小さく手を伸ばして届く大きさです。
その木の下で冠を直そうとしていたら遠くからスモモを盗もうとしているように見えることから紛らわしいことはするな
という意味で使われます。
そんな風に思う相手の問題だろうが!!!
と切れ味抜群のジャックナイフだと言われた学生の頃の僕なら言っていましたけど言い方を変えれば
そんな風に思う人も居なくはないからしょうもないことに巻き込まれないためにも気をつけなさい。
という意味になります。
こう考えると周りを見るという考えが変わってきます。
周りばかり気にしているとそれはそれは会話にならないので大変ですけどね(笑)
全てはうまくいくために言葉は使われるはずですから。
言葉を無意識に使っている人がよく使う「でも」

言葉にはさまざまな接続語があります。
それで
だから
でも
言葉の一文を繋ぎ合わせるものとしてとても意味を強く持っています。
どの中で強い意味に捉えられる言葉が「でも」
逆説ってやつです。
言い方を変えれば「否定」ですね。
自分は今までこうだった。だからこういう風に行動をとってきた。「でも」こういう間違いがあることに気づかせてもらったんだ。今度からこういうところに気をつけて行動していきます。
という風に自分の変化に対する言葉の使い方だったら聞いている側は
あ〜そっか!自分で気が付いてすごいな。
となり得るんだけども
(話を聞いた直後に)でもこれってこうなんじゃない?あなたはいつもこういう。でもこうだと思う。
時には自分の意見を突き通すことは必要になります。
しかし無駄に多くこの言葉を使ったり相手の言葉を受け入れないでいると否定されている相手は喋る気が薄れてきます。
接続語を使うのは言葉を知らないということをアピール
つまり
しかし
でも
だから
これらは相手にわかりやすく話すために使います。
自分の言葉では誤解を生むかもしれないということを防ぐために使うんです。
自分の言葉が不十分
もしくは相手の理解力が不十分
のどちらかになります。
会話にならなくんなる前に
自分が言葉を知らないということを隠すために相手の理解力をバカにしているように映ってしまうので注意が必要です。
会話がしたかったらまず「でも」を使わないようにすると内容がより詳しくわかるようになります。
相手をわかった風に感じるのはとても危ないサイン

自分のことをどこまで理解していますか?
自分の性格を簡潔に言葉で言い表せられますか?
この言葉と本当の性格はどこまでのズレがありますか?
言葉に出すときに自分をよく見せたいという感情や変な風に捉えてほしくないという感情が湧き上がります。
もう言葉に出した時からズレているんです。
会話をするときは自分のズレを意識しながら会話する方がいい。
相手も言葉と感情がズレていることを前提に会話すると言葉そのままを受け取って変な誤解を生むことを回避できます。
ここでしてしまうしくじりポイントは
相手をわかった風に会話することです。
古い友人や家族、夫婦、恋人など相手を理解していると思っている相手に対しての会話は気をつけたいところ。
付き合いが長いから言葉使いも緩くなっていく傾向にあるのであまり気も使えなくなってくる。
そうなると相手は「こういう人間だから」と勝手に想像してしまうことにしくじりポイントがあります。
どれだけ付き合いが長くなろうとこれは肝に銘じたい
自分のことさえも理解できないのに目の前の人のことが理解できるはずもねぇ!
人は仲良くなれないということではありません。
それくらい人は単純ではないということです。
あなたはこうでしょ?
って端的に言葉で片付けられると腹立つでしょ?(笑)
まとめ「投げたブーメランは返ってくる」

よく「言葉は自分に返ってくる」と言われますが相手からの反応もそのまま返ってくると考えることもできます。
そしてもう一つ
自分で発した言葉はそのまま自分の耳に入ってきている
自分ではあまり意識はしていないことではあるが自分の言葉はダイレクトに耳に入り脳に情報として入ります。
思っていることと発している言葉に相違があると耳に入ってきた自分の言葉でさらに混乱することになります。
「でも」を多く使っていると否定の言葉が脳にも入ってきて考え自体が否定から始まったりするので注意が必要です。
自分の言葉だから気付きにくいですが、自分の考えがネガティブになっているかポジティブになっているか、相手の話を聞いているか、自分の言葉を突き通しているかで今の自分を形成されています。
相手のことを思って発している言葉が自分の考えを歪ませていることにもなるので普段の言葉に意識を向けてみましょう。
自分はただマウントをとっているだけになっていないか
相手の行動を遮っていないか
相手を尊重する言葉や態度はどのようにして形成されるのかを観察してみると日頃の言葉が変わるかもしれません。
全ての言葉は人のため、自分のために笑顔になるように使うのがベストなんですから。
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